211126 水島広子 / 『10代のうちに知っておきたい折れない心の作り方』 読書グラフィ 今日読んだ本
読書グラフィ 今日読んだ本
★水島広子 / 『10代のうちに知っておきたい折れない心の作り方』
●怒り(などのイヤな感情)を感じることによって、
その原因を取り除いたり、
傷ついた自分の心をケアしたりする必要があると気づくことができるのです。
「結果として自分を守る」ことができるようになるためには、練習が必要です。
一つは、自分が感じている「イヤな感情」のきっかけが何だったかを、
はっきりさせることです。
何がきっかけでイヤな感情が起こってきたのかを考える習慣を
つけるようにすると、「自分を守るためにどうしたらよいか」が
わかりやすくなります。
また、ただモヤモヤとしてイヤな気持ち、というところから、
「自分は怒っているんだな」「自分は不安なんだな」
ということに気づけるようになることも、とても役立ちます。
それがわかれば、それぞれの感情に合わせて、
何をしたらよいのかがわかるようになるでしょう。
●自分を嫌いにならずにすむということは、
最も「自分を守る」ことにつながります。
なぜなら、「自分が嫌い」と思うことは
自分自身を傷つけてしまうからです。
●こちらが親切で言っているのに、ひねくれて受け取ったりします。
それを見て、「イヤな人だな」と感じるのは仕方がないとしても、
「この人がこういうふうになったのは、何か事情があるんだろうな」
と考える習慣をつけると、
ただただ「イヤな人だな」とストレスをため続けないですみます。
●多くの人が、(失敗して自身をなくした)この状態を引きずってしまいます。
つまり、「自信がない」という気持ちを積み重ねていってしまうのです。
そして、今までの自分を後悔したり、
将来の自分を考えて悲観的になったりもします。
でも、このような感じ方は、
「衝撃(ショック)」を受けたときには誰にでも起こるもので、
じっとしていると時が解決してくれる、ということを知っておけば、
自己嫌悪や絶望といった「深堀り」をしないですみます。
「衝撃」を受けたときに感じる「怖い」「自信がない」という気持ちは、
しばらく我慢すれば、いつかは去ってくれます。
でもそこを「深堀り」してしまうと、
どんどんこじらせてしまうことになります。
●決めつけられたら、「ああ、そう思うんですね」と答える。
「相手はそう思っている」ということだけ受けとめれば、
自分がそれを認めたということにはなりません。
ただ、「相手はそう思っている」という事実だけを確認するのです。
言われたことを否定も肯定もしていません。
自分の意見を言う必要があるとしたら、その後にしましょう。
自分の気持ちを受け入れてもらえた、
というタイミングで穏やかに言われたことは、
案外すんなり心に入ってくるものなのです。
●「自分」を主語にして話す。
人にはそれぞれ、他人にはわからない事情があって、
それについて何かを決めつけられると頭に来たり傷ついたりします。
自分にしかわからない「自分の事情」を「自分の領域」、
相手にしかわからない「相手の事情」を「相手の領域」と考えれば、
決めつけない話し方というのは、「自分の領域」の中だけで話す話し方、
ということになります。
●人と自分を比較して得られることは何もありません。
憧れる誰かのようになりたい、という気持ちはやる気につながりますが、
これは「目標を持つ」ということであり、「比較する」こととは違います。
●「縦の比較」と「横の比較」
「横の比較」というのは、他人との比較。
多くの場合、自分に劣等感を植え付けます。
「縦の比較」というのは、自分を時間軸で見てみる比較のことです。
自分自身の成長を見るようにすれば、
それまで自分なりに努力してきた成果を
何かしら見つけることができると思います。
例:「人見知りが強くて前は人と挨拶もできなかったけれど、
今はできるようになった」
「病気や怪我をして、
病気をかかえながらもがんばっている。
怪我をした人の気持ちがわかるようになった」
●「今はこれでいい。」
●若くて社会経験が少ないときに、
自分が本当にやりたいことなど見えていないほうが普通だと思います。
「その時々に一番自然と思えることをしながら、
だんだんと自分の向き・不向きは何かを見つけていこう」
という生き方をしたほうがよいかもしれません。
●どれほど陰口を言われようと、それは「相手の問題」。
堂々と自分の意見を言えない「自信のない人」が、
どこかで自分の不満を発散させているだけです。
ですから、こちらの問題ではありません。
どんなに努力して、みんなに気をつかったとしても、
陰口を言う人をゼロにはできません。
自分自身のストレスを
「陰口」という形でしか発散できない人がいるからです。
陰口を気にしすぎてしまうと、
そのような「相手の問題」に巻きこまれることになります。
でも、これはもはや自分とは関係のない話です。
●環境が変化するとき、人間はだいたい同じような感じ方をします。
新しいことを始める時期に特有の不安をおぼえること、
実際にうまくいくかどうかとは関係がないのです。
自分の今の心配は、変化のときには、
それも特に大きな変化のときには、
誰もが感じる気持ちなのだと知っておいてください。
●大きな変化のときには、
意識して「それでも変わらないもの」を持ち続けるよう心がけることも
心を安定させます
また、何をやっていようと、「自分らしいところ」は必ず残るものです。
それを見つけ、「何をやっていても自分は自分だ」
と思うことができれば、ぐっと自信が感じられるでしょう。
●どんな場所でもできるだけ自分のペースを守るということは、
社会に出てからも役立つ力です。
●悪口を言っている人のことは「困っている人」と見ることができますし、
決めつけに対して決めつけない、ということは、
それを「悪口」とはとらえない、ということです。
「困っている人」に対して何も決めつけない、というのは、
たとえば、「大変だよねえ」「困るよねえ」などと、
相手が不愉快な思いをしていることに対して
共感的なことを言ってあげる、ということです。
悪口の対象には触れず、ただ、悪口を言っている人の
「困っている気持ち」に共感してあげるだけでいいのです。
●ひどいことをする人というのは、単に「怒っている」だけでなく、
生い立ちや現在の生活に、相当のストレスをかかえているはずなのです。
人を人として扱えない人は、
自分自身が人として扱ってもらっていないのです。
●SNSをはじめ、目から入ってくるネットの情報は、
最も衝撃的に感じられます。
特にネットの場合、予期しないものが突然目に入ってきますので、
より衝撃を受けやすいのです。
悪口(あるいははっきり悪口でなくても、そうとれるもの)は、
直接言われた場合以上に強く突き刺さってきます。
ひどい衝撃(ショック)を受けてしまうのは仕方のないことです。
変に強がる必要もありません。
相手に対しては直接反応しないで、
もし他に心を許せる人がいたら打ち明けたりしながら、
自分の衝撃が去るのをじっと待ちましょう。
●自分の興味のある話題には加わる。
でも、人の悪口など、加わりたくない話題のときには
「大変だねえ」程度にして、できるだけ存在感を消す。
●相手が自分をどう思っているかというのは、
長い目で見て判断したほうがよいでしょう。
●ペースが遅くても、必ず誠実に対応している、
という姿勢さえ貫いていけば、
だんだんとまわりもわかってくれることが多いものです。
●サラリと無難にかわすには、「ごめんね~」という言葉が便利です。
●「マメじゃない」「怠け者だから」「天然」など
「自分のキャラのせい」でできないということを強調する。
あるいは、「〇〇ちゃんて、まめだよねぇ。」「几帳面」
などと相手をほめてしまう方法もあります。
●「すみません」と謝ってから、
「うまくできるようになりたいので、教えていただけませんか」
と言ってみる。
●親同士が悪口を言い合っているような状況
難しいかもしれませんが、もしも言える状況であれば、
「お父さん(お母さん)の悪口は聞きたくない」
と言ってみてください。
自分の気持ちを伝えるだけでも、
ずいぶん自分の心を守ることができるでしょうし、
親もハッとするかもしれません。
親は、「子どものために」と思って
相手をののしっている場合も多いからです。
●信頼できる大人(先生、親せきのおばさんなど)を見つけて
両親のことを相談してみるといいでしょう。
●いじめはいじめる側の心が病んでいるから起こる現象であって、
いじめられる側に問題があるわけではない。
●スクールカウンセラーや養護(保健室)の先生に相談する際、
「秘密を守ってくれますか」ということは最初に確認してください。
親にすぐ確認を取られたりしては困るからです。
そういう意味では、児童相談所はちゃんと秘密を守って、
親子の両方にとってどうすることがよいかを考えてくれる専門機関です。
どうしたらよいかわからないときは、
「チャイルドライン(18歳までの子どものための相談ダイヤル)」
などに電話してみましょう。
●親に虐待されているということを他人に伝えるのは、
恥ずかしいとか、親に悪いと感じたりするかもしれません。
最近海外では、「虐待」という言葉を使わずに、
「助けを必要としている」という表現を使うようになってきています。
つまり、親は、子どもが憎くてひどいことをしているのではなく、
親自身が助けを必要としている状態なので、
子育てがうまくできていない、という見方をするのです。
自分の家の問題を公にすることは、
結果として親にとってもプラスになるのだと知っておいてください。
●Every child learns differently.
一人ひとりの子どもが、それぞれの学び方をする。
●日本では「登校できない」ということが問題視されますが、
アメリカでは、「その子に合った教育が提供できていない」
という見方をします。
学校に行けない子どもの問題ではなく、
その子に合った教育を提供できない社会の問題として見るのです。
●リストカット(リスカ)
多くの人は、「何とか生き延びるために」リストカットをしています。
どういうことかと言うと、
精神的に追い詰められているときにリストカットをすると、
少しだけ気分が楽になることがあるのです。
これは「解離」と呼ばれる現象なのですが、
あまりに苦しいときにリストカットをすると、
意識がちょっとはずれたような感じになるのです。
緊張しきった心が少し緩むという感じと言ったらわかりやすいでしょうか。
このタイプの人は、
リストカットによる痛みを感じないことが多いようです。
逆のパターンの人もいて、あまりにも苦しいとき、
自動的に「解離」が起こってしまい、
自分が生きているのか死んでいるのかわからない、
という不思議な精神状態になって、
リストカットをして痛みを感じたり赤い血を見たりすることで
「生きている」と確認できて安心する、というケースもあります。
●リストカットのほとんどのケースが「衝撃」に関連している
と言ってよいと思います。
リストカットから抜け出すためには、
自分は何かから衝撃を受けたのだ、と自覚することが出発点になります。
●衝撃を受けてしまったときにはまず、
「ああ、これが『衝撃』なんだな』と気づいて、
衝動的に何かをしたり決めたりせず、
自分の中の嵐が過ぎ去るのを待つ、
「横の比較」ではなく「縦の比較」をする
という習慣をつけていきたいですね。
●世の中には「定型発達」と「非定型発達」の人がいます。
「定型発達」のほうが多数派なので、
少数派が「非定型発達」と呼ばれています。
「非定型発達」は、いわゆる「発達障がい」として知られていますが、
社会生活にそれほど支障をきたさないのであれば、
個性の一つとみなすことができます。
「非定型発達」にはいくつかのタイプがあるのですが、
対人関係面で生きづらさをかかえて疲れてしまう、
というタイプの人はかなり多く存在しています。
●「非定型発達」の方に知っておいていただきたいのは、
どちらが優れているとか劣っているということはなく、
この社会が多数派である「定型」の人たちのためにできているので、
「非定型」の人にとっては生きづらい面が多い、ということです。
逆に「定型発達」の方に知っておいていただきたいのは、
世の中には、「非定型」の人が一定の割合いて、
「どうしてこんなひどいことを言うのだろう」と思う人が、
実は「非定型」のために
自分の発言がどう受け取られるかわかっていない場合もある、
ということです。
つまり、本人には、ひどいことを言いたいという気持ちなど
まったくないことも多いのです。