210615 松本圭介 / 『脱「臆病」入門』2 読書グラフィ 今日読んだ本

読書グラフィ 今日読んだ本

★松本圭介 / 『脱「臆病」入門 自分をすり減らさず満足な毎日を過ごすための実践術』

●臆病の最大の原因「自信不足」

●自信不足のときに最も気になるのは、

 精一杯120%の努力をしてもうまくいかなかったときの周りの反応。

 慢性的に自信が不足している人は、

 何もしなければ今よりさらに自信がなくなっていくということです。

 人が自信をつけていくためには、

「選択」と「決断」の経験を積んでいくことが欠かせません。

 運動しなければ健康が保てないように、

 適度にチャレンジをしていかないと自信を育てることができません。

 ネガティブな言動を習慣化していると、臆病も悪化してしまいます。

例:「あんまり期待しないでくださいね」「無理かもしれません」

 自分の力を必要以上に低く見積もるのは、

 自分で自分を評価できなくて、常に他人の評価を軸にして生きているからです。

●実力は自信に比例しない。

●自信そのものは、自分が勝てると心から信じているかどうか、

 それに尽きます。

 自信不足の人は「必ずやるんだ」という意志が持てないため、

 根拠を自分の外に探そうとします。

「必ずやるんだ」という意志を持つということは、

 言い換えると、自分自身を賭けるということです。

「自己中心性=自分を守りたい気持ち」が強い人は、

 この賭けを必要以上に恐れます。

●問題は、客観的な根拠ではなく、自分自身の意志です。

 自分が「これでいいんだ!上を向いて歩こう」と思えるかどうか。

●仏教で大切にすべき3つの宝「仏」「法」「僧」

・仏・・・そのまま仏

・法・・・仏の説いた教え

・僧・・・サンガ=僧団。一緒に同じ道を歩む仲間。


「おまえは本当に使えないやつだ」などと言う人は、

「同じ道を歩む仲間ではない」ということ。

 自分に都合のいい人を、都合のいいように、

 そのときどきで評価しているだけのこと。

 大事にすべきなのは、結果がダメでも

 自分が一生懸命やっていることを理解していくれて、

 自分の成長を考えてくれる人。

例:「大丈夫、誰だって失敗はある。」「次にまた頑張ればいいじゃない」

●お釈迦様の言葉「自灯明、法灯明」

 仏教を自らの人生の歩みのよりどころとしながら、

 人生を歩む自分自身を灯火とすることが大切であるということ。

 他人の期待値、評価に右往左往するのではなく、自分の意志を持つこと。

 自分の内に湧き出る意志を根拠として行動することが大事。

●自分に正直になると得られる3つのもの

 少しだけ気持ちをゆるめて、自分は本当はどんなふうに生きたいのか、

 自分の一番の望みはなんなのか。

(1)自由に挑戦することができます。

 今までできなかったことが、少しずつだけどできるようになってくる。

(2)人が怖くなくない、良い仲間の輪ができます。

 意欲のある人が集まって来るようになり、

 かけがえのない仲間としてお互いに刺激しあう関係が生まれるでしょう。

(3)チャンスが巡ってきます。

●課題を与えられたとき「難しそうだけど、どうにかしてできないか」という

 ポジティブな姿勢を基本スタンスに据えること。

●内から湧き出るポジティブな動機で

 力いっぱい何かに打ち込んでいるときには、

 余計なことを考える余地はありません。

 自分が今取り組んでいることに完全に集中し、

 他人からどう見られているかなど、

 意識からはすっかり消え失せています。

 最も充実感が高まる状態です。

 そういうとき、あなたは生き生きと輝いているはずです。

 自分を満たすために必要なのは、目先の点数ではなく、

 自分のやるべきことに全力で取り組むこと。

 できるかできないか、ぎりぎりの「ストレッチ」があってこそ、

 人は能力やキャパシティの限界点で、

 自信を養うトレーニングを積むことができるのです。

●失敗の予行練習に対する訓練

「○○してみようかな」→「○○だったらどうしよう」

 ↓

「ネガティブ思考に入ってしまっている」と自覚し、

 意識的にポジティブなイメージを持つようにします。

 ↓

「○○してうまく行く」といった前向きなイメージを浮かべたり、

「○○だったら、〇〇しよう」というような

 対応策を考えておくと安心感が違います。

 失敗パターンが浮かびそうになったら、

 すかさず成功パターンを思い浮かべて打ち消す。

 それを日々心がけることで、自動的に

 失敗のイメージトレーニングが始まるクセを緩和することができるでしょう。

●親鸞聖人「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」→

「善人ですら救われるのだから、悪人が救われるのはなおさらだ」

(ここでの)悪人・・・

 自分を徹底的に見つめ、自らの中になる悪を自覚し、

 その愚かさに気付きを得た人のこと。

(ここでの)善人・・・

 自分の心の悪にも気付かず、自分は愚かではない、

 自分こそは善人であるとうぬぼれ、

 本当の自分の有り様を正面から見ることを避けようとする人間のこと。

「悪人」は、

「もう何も失うものはない」足下のゼロ地点に立っている自分を再発見し、

 何事も新鮮な気持ちで前向きに取り組むことができる。

「悪人」であるにもかかわらず、

 数えきれないほど多くの人やものや緑のおかげで

 日々を成り立たせてもらっていることに対し、

 感謝の念が自然と湧いていきます。

 その結果、確固たる自信が身に付くのです。

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